三上誠
三上誠
- " この作品は、「蓮と少女」(昭和22年)の本画の1部分にあたり、久原菊子という女性をモデルに描いたものである。第3回京展に出品するつもりで作成していたが、展覧会間近になってから気に入らないところがあり水で洗って絵の具を落としたという。描きなおすと周囲の人には言ったそうだが、結局この絵が完成することはなく、その後、その絵がどうなったか知る人もいなかった。この蓮と少女を描いた作品を制作していたことは、日記や友人の証言から分かっていたが、三上の死後、遺品整理の際、棚の奥にソフトボール大に丸められた状態で見つけられた。それが「蓮と少女」の本画である。続いて下絵も見つかった。これによって本画と下絵がそろい、「蓮と少女」制作過程をある程度まで推定することが可能となった。
下絵は正方形の画面に蓮が林のように乱立するなか少女の全身像が描かれる。鉛筆で輪郭をさぐり、一番よい線を決定してから岩絵の具で簡単な彩色を施して、全体のイメージがつかめるまで推敲を重ねたことがうかがえる。この下絵のためと思われる蓮の花や少女の顔を描いたスケッチが存在しており、ここに至るまでもかなりのデッサンを重ねて精度を上げていることが知られる。
本画は少女の上半身を中心に下図の大きさから4分の1程度に切断したもので、他の部分は捨てることができても、ここだけは残さざるを得なかった心情が推察される。
三上が「蓮と少女」を完成させずに出品できなかった第3回京展で受賞した石本正(創画会)は三上の具象を非常に高く評価しており「三上が出品していたら、自分は受賞しなかっただろう」とコメントしている。その石本氏の高い評価を裏付けるには、あまりにも数が少ない三上の具象であるが、この下絵は少なくとも彼の確かなデッサン力を保証する。「蓮と少女」は三上にとって具象との決別の絵であり、パンリアルで別次元の表現に移る前の、最後の具象の絵といえる。そして未完で世に出すことはなかったにもかかわらず手元に置き続けた、画家にとって特別の意味を持つ作品であった。"
1919-1972
ミカミマコト
Makoto MIKAMI
J-37
制作年:1947
サイズ:99.7×98.0cm
技 法:紙本着色
材 質:
形 状: