所蔵作品

山田介堂

山田介堂
  • 本図は中国文人画に特徴的で南画にも踏襲された青緑山水の技法を用い、深い山奥の渓谷に隠棲する文人の様子を描く。薄桃に色付く梅花がそこかしこに咲く幻想的な風景の中、前景には水辺にせり出した四阿で語らう隠者が、中景には農耕の様子や放たれた牛が遊ぶ長閑な山村風景が描かれ、遠景に向けて遥かに山々が連なる。縦長の画面を用い、モチーフを積みあげていく構図は伝統的な南画の形式を踏襲する。画面左上の自画賛には「人言春雨好更好晩来晴樹色 通簾翠煙姿著物明得泥初 燕喜避弋去鳴輕誰見危欄 外斜陽老眼平 丁巳少春写於錦織壺屋」とあり、春の山に臥遊する隠者の心境が表される。

1870-1924

ヤマダカイドウ

Kaido YAMADA

J-472

青緑山水江山春蘭図

セイリョクサンズイコウザンシュンランズ


制作年:1917
サイズ:185×73.4㎝
技 法:絹本着色
材 質:
形 状:一幅


"山田介堂(1869~1924)※は、福井県坂井市(旧坂井郡丸岡町巽)生まれの南画家。40代に水墨や青緑山水で自己の表現を確立し、京都画壇に重きをなした。大正6年(1917)に描かれた本作は緑青や、代赭、群青を多用し青緑山水を描き始めた40代後半のもので、画面左上には、中国北宋の詩人・蘇舜欽(そしゅんきん)が春の情景を表現した五言律詩―梅の花木が華やぎを加える深山の春霞がそのうち消え去り、やがて大きな夕日が目を楽しませてくれるだろう―が書かれる。ゆったりとした時間の流れを感じさせる、介堂の目指した詩画一体の境地がここにある。 ※介堂の生年は明治2年(1869)、もしくは明治3年(1870)ともいわれる"