小島信明
小島信明
- " この作品は、大野市出身の美術家小島信明の一作で、1967年に制作したものである。「風景」と称した本図は、日本列島をモチーフに制作した小島の意欲作でもある。小島は1960年代から70年にかけて、現代日本美術の世界で、積極的に多彩な創作活動を進め当時新鋭作家の一人として大いに注目を集めた。
本図はその意味でも1960年代後半の小島芸術を代表する一作である。「風景」の中に描かれた日本列島とその周辺の地形図は、全体的にどことなく無表情の原風景を生み出している。即ち何の変哲も、愛想も極めて殺風景な日本地図の絵画として表現されている。しかもここに描かれた日本地図は、単に地理学的な決まりきった」数式や記録などによる
再現ではなかった。小島はむしろ宇宙的遠大な視点に立って、彼自身の立っている日本列島を見つめなおすことであった。小島にとって日本列島は彼が日本人として逃れることのできない宿命を背負っている。その宿命を踏まえて1967年という時点で日本の文化・文明の根源を考えようとする創意がうかがわれる作品である。
また「風景」のモチーフとなっている。日本列島は、地形の中には地理的諸条件の山とか河とか史跡名勝といった説明や記録の何一つ全く無い無表情の日本列島の風景を描いている。がしかしこの地図は日本列島であると同時に大陸の一部として描かれている。即ち朝鮮半島の延長に日本列島が接続して、どこからともなく日本列島を形成させ絵画化している。
今日の日本文化を支えてきたものは、日本文化を構築した私たちの先人の熱烈な大陸文化への摂取にあった。それはこの小島の「風景」に見られるように精神上は、大陸も日本も一体化した存在であったのであろう。それゆえに日本の文化は大陸文化の西から東へ流れる終着地の日本列島であった。正倉院も室町水墨画も、仏画もこうして大陸の東の終着地日本列島で昇華した。そして再び日本の現代美術も日本列島の東と西の地図の上で新しい今日的文化、文明の在り方を再び見直している。そのためにこそ無表情の何の変哲もない日本列島をっ小島は宇宙的視点で風景かする必要があった。
小島信明は1935年大野市に生まれる。1955年大阪市立工芸高校美術科を卒業し上京。読売アンデパンダン展には1958年第十回展から毎回出品を続けた。特に1962年第十四回展では、自分自身を素材とした作品(ハプニング)を出品して話題となる。1964年村松画廊で個展。1965年「日本の新しい絵画と彫刻」展(ニューヨーク近代美術館)に出品。また同年「現代美術の動向」展(国立近代美術館京都分館)に出品。1966年第七回現代日本美術展コンクール部門
で長岡現代美術館賞を受賞。1967年日本国際美術展でブリジストン美術鑑賞受賞。1970年文化庁芸術家在外研修員として欧米派遣。帰国後再び1972年から1977年までニューヨークに滞在した。1971年「敵対者としての芸術家」展(ニューヨーク近代美術館)に出品。1978年福井県立美術館主催の「福井県現代作家」展に出品。 "
1935-
コジマノブアキ
Nobuaki KOJIMA
O-53
制作年:1967
サイズ:182×227.5cm
技 法:ラッカー
材 質:木製パネル
形 状: