横山操
横山操
- "この作品の描かれる前年の1962年、横山操は第34回青龍展に出品予定の≪十勝岳≫を縮小するよう要請され、それを契機に青龍社を脱退。2度目の作品の処分を行い、新たな出発を図った。
以後無所属となり、かねてからの念願であった水墨表現を追求していくようになる。それは当時日本画と洋画の表現が接近するなか、むしろ日本的なものの追求こそが日本画を世界的な水準に至らしめるのではないかという考えからきている。加山又造が横山操を代弁した言葉で補足すると「戦後水墨画らしい水墨がない。特に若い人がやる形は全然なかった。でも『現在の油絵や世界の絵画に対抗して日本画を位置づけるためには、どうしても水墨を何らかの形でしっかりさせないといけない』」 という心であった。
金銀地に様式化された梅の花を描いた本作≪紅梅≫≪白梅≫は、現代にふさわしい日本画の水墨表現を模索し始めた頃の作品であり、琳派など伝統的な日本画の影響だけでなく、濃い膠による光沢のある墨、荒い粒子で高い彩度の岩絵具を使った紅梅の表現など様々な実験を試みている。1963年(昭和38)6月開催の屏風絵展出品作。翌年の2年ほどの間、この画題でいくつかのバリエーションが描かれている。同展では中国の山水画の伝統的な水墨の主題による意欲作≪瀟湘八景≫も出品された。
横山操は中支戦線にあった頃、江南の名もない小村で、ふと出会った満開の梅に「思わぬ恋人にめぐり会った気持で、どれほど心を慰められたことだったか」という梅についての特別な思い出を語っている。三鷹の家には、横山という画家が引っ越してくると聞いて横山大観と間違えた近所の人からの贈り物の梅が植えられていたとも伝わる。
本図は描かれた後、、≪白梅≫は4扇分仕立て直す目的で屏風からはがされた状態で保管された。"
1920-1973
ヨコヤマミサオ
Misao YOKOYAMA
J-443
制作年:1963
サイズ:121.4×176.7(2扇×1)
技 法:
材 質:銀箔、墨、岩絵具
形 状:屏風装(2扇×1)、4扇分まくり