横山操
横山操
- " 横山操は新潟県西蒲原郡に生まれ、上京し昭和15年川端龍子が主宰する青龍展に初入選を果たすが、その後召集を受け戦後はシベリアで抑留生活を送った。復員後青龍展に復帰し、黒色を基調に豪放な筆致と大胆な構図による大作を次々と発表した。昭和37年青龍社脱退後は富士の連作や水墨画に新境地を開くが、53歳の若さで病に倒れた。 戦後の日本画の変革を牽引し、大きな足跡を残した。
本作は、昭和31年銀座松坂屋で開かれた横山の第1回個展に出品された。縦2.3m、横6.3mに及ぶ大画面には、川辺に密集する家屋とその水面への反映がとらえられている。細部は明瞭には描かれず黒色の中に溶解しており、画面奥へと誘われる視線は迷路状に巡らされ曖昧に遮断される。一方で家屋群の前面と背面には明快に空間が開かれてあり、画面に窮屈さは感じられない。この空間を閉じると同時に開く仕掛けにより、大画面は単純さを免れ絵画として躍動感を持つ。ときに型破りにも見える前期の横山のダイナミックな表現は、こうした巧みな構成に裏打ちされている。当館は同じ個展に出品された「網」も所蔵している。生涯二度にわたり自ら作品を焼き捨てた横山の初期作品は貴重である。 "
1920-1973
ヨコヤマミサオ
Misao YOKOYAMA
J-5
制作年:1956
サイズ:226×630cm
技 法:着色
材 質:木綿
形 状: