所蔵作品

牧野信之助

牧野信之助
  • "拝啓、先達て御伺申上候節ハ、セはしくてゆつくり御慰めも申上げられ春゛候 ひしが、母上御亡くなられ候てより一ト月余、段々日がたつに従つて、御淋しきことゝ察 上候。又敬三氏は御無事にて戰地御勤務に候や伺上候。扨先日源君參られ 候て、意外にも多数の佛像を全村に亘りて見られ候赴、(ママ)同氏よりくはしくその話を    聞き、又あなたより(源君宛)の御手紙の旨をも承り申候。其につき多年御交際の畏友 として小生より率直に一言申上度候。それは申春迄もなきことながら、あなたの位 置をよく反省セられ候て、特に、もう少し大なる襟度を持って言動セられたきことに 候。大瀧神社昇格奉告祭の際、小生ハ縣知事以下の賓客に對し、あなたの地位を 思ひ切つて大言したること、又、秩父・高松両宮が、特にあなたの製紙場を訪はれた ことは、儼たる紀念(ママ)碑となつて、末代迄の光栄を示春こと、此等はあなたの力が、 既に一地方のものでなく、日本的に或は世界的に「美術紙は岩野」と知られるやうに なった為めで、其他限りなき多くの栄譽と共に、誰が何としても、打消し 難き当然荷はるべき栄譽に候。此上は、更らに進んで、製紙の上に、又郷里 の発達の為めに御盡力され、それと共に大々的の雅量を以て他の村の人 にも、それ〴〵例へ小さくても、何かよいことがありとしたら、極力あなたが(訂正:より)進んで 推称セられたき態度をとられたきことに候。三田村家との関係が、例へ 裏面では、色々御不満があるにしても、そんなことは一切水に流して、これ 迄の厂(ママ)史に現はれてくる三田村家の功績ハ、矢張心から之をおみとめになり、               コク 今度の十二名共有とか云はれる虚空ゾウ像菩薩(ママ)にしても、大瀧神社に複春る ことは時節が解決春ることゝ確信いたし候間、源君の鑒定かあたるあたらぬ は暫く別として、郷里の為めに、殊に大瀧神社関係のものに、斯る好評あるも のが知れた以上ハ、大度量を示して、喜んで(挿入:その顕称に)賛成セられ、流(ママ)白は、岩野君は人物 が大きいと云はれるやうに切望致し候。決して、小さい利害問題にこセ〳〵 セられ春゛、何もかも相手(を哀んで:見え消し)(に深き好意を示して、:挿入)思ひきつて大きなところを示され、名實共に   丶丶丶 岩野ひいきの学者藝術家の多数を、万が一にも失望さセるやうなことになら ぬやう、御熟慮を願ひ、更らに、天晴斯界の巨匠として濶歩セられるやう ※文章未記入分有り と存じ候      草々不一   尚、加藤氏御内仏についてハ、源君の見解も承り候。     時代ハ江戸時代にしても、端麗荘厳なる御尊像は一入     ありがたく称セられ候。佛像を美術品として見る時、時代を                      〇〇〇〇     溯る程作品が少なくなるに■(よ)り、稀少價値の上より、骨董的に     ありがたがられることに御座候。その為めに、藤原時代と云ひ、貞     観時代と申しても、修膳程度甚しく、又ハ作が拙劣なれバ、     決してよいとは云はれざることに御座候。   七月十四日  牧野  岩野平三郎様 "

1884/4-Sep-39

マキノシンノスケ

Shinnosuke MAKINO

C-38-590

牧野信之助書簡 岩野平三郎の窮状に対し激励の言葉 154‐17

Letter from Shinnosuke MAKINO


制作年:1938年7月14日
サイズ:便箋2枚(両面)26.5×19.1 封筒21.8×8.5
技 法:紙本墨書
材 質:紙 墨 インク
形 状:便箋2 封筒1