雨田光平
雨田光平
- " 彫刻家雨田光平は、筝曲京極流の伝承者、またハープ奏者としての音楽家の顔を持っている。
彫刻家としての雨田の作品には、この音楽の素養が感受性の豊かさなどの面において、多分に影響を与えていると思われる。
雨田は明治26年福井市に生まれた。明治44年に東京美術学校彫刻科に入学し、特待生として在学した。在学中からアカデミックな学習にあきたらず、デフォルメした自由な作風を始めていた。そのころの彫刻界は写実の全盛であったので、雨田の彫刻はすでに何十年も先駆していたことになる。もっともこれによって教科の点数はかなり下がったらしい。
また一方では、在学中に鈴木鼓村に筝曲を学び、大正9年から約10年間アメリカ、フランスなどに滞在し、彫刻とハープを勉強し続けた。帰国して鈴木鼓村の没後は京極流の二代目を継承し、筝曲の普及に努めると共に、東京でハープ協会を創立し、演奏活動などに活躍してきた。
このように外国においても帰国後も、彫刻と音楽を並行して勉強し、両方の分野の人々との幅広い交友のなかから豊かな人間性に一層の磨きがかけられ、それが作品にも表れるようになったと思われる。
美校在学中に既にデフォルメを取り入れ、後にアルキペンコやザッキン風な丸みのある作風にも傾倒している。
雨田の言葉に「およそ偉大なる芸術の霊感的でない作品は一つもない・・・」(昭和16年 日本彫塑)とあるが、彼の作品も心の中で醸造された霊感を大切にし、作品に表現しようとしてきたのであろう。
昭和58年当時、雨田いわく、今までに一番印象に残っている作品は文部省の第10回展に出品した「女の顔」だそうで、これが政府買い上げになった時のうれしさは例えようがないと、顔をほころばせて話したという。
この作品「バッカス」は昭和43年(1968)の作で、太い、たくましい腕と指を持ち、酒にとりつかれたふてぶてしい男の姿を表している。全高60cmの像ながら、圧倒的なボリュームを感じさせる一方、洒脱なユーモラスさも持ち合わせている。
友人をモデルにして制作したということで、手の感じなどに特徴を表そうとしたそうである。バッカスとはギリシャ神話に出てくる酒の神であるが、酒飲みでもない人をモデルにして、バッカスを作り上げるなど作者の人柄を感じさせる。1960年の大作「先達」を思わせる作風で、作者の細い優しい体つき、顔立ちからは想像も出来ないような迫力に満ちた荒々しい像であり、代表作の一つといえよう。"
1893-1985
アマダコウヘイ
Kouhei AMADA
S-4
制作年:1968
サイズ: H 60cm
技 法:
材 質:ブロンズ
形 状: