鈴木千久馬
鈴木千久馬
- " 福井県出身で芸術院会員の鈴木千久馬は、昭和55年9月、86歳で他界した。大正10年に東京美術学校を卒業し、同年10月の第3回帝展に出品した作品が初入選して以来、60年にも及ぶ画業は、一貫して官展(帝展・新文展・日展)と創元展(昭和16年に同士と共に結成)に発表され、その画風は「日本的油彩の一好例」と高く評価されていた。
鈴木千久馬は、明治27年福井市生まれ、宝永小学校から福井中学校に進んだが、三年生のとき一家上京のため東京の日本中学校に転校した。「センクマ」の愛称で呼ばれていた東京美術学校時代、鈴木千久馬は藤島武二の教室に学んだ。同級には、前田寛治・鈴木亜夫・中野和高・伊原宇三郎らがおり、上級には里見勝蔵・中村研一・下級には佐伯祐三・岡鹿之助らがいた。鈴木千久馬にとって学生時代にこれらの友人たち画架を並べて制作をしたり、議論を戦わせることができたのは、とても恵まれていたといえるだろう。
「椅子に凭れる裸婦」は大正15年の第7回帝展で特選を受賞した作品である。この作品は、初期の鈴木千久馬の画風を典型的に示す代表作の一点であり、また大正末期から昭和の初頭の日本における油彩画の歴史を研究する上でも貴重な作品である。その画風は、アンドレ・ドラン風の落ち着いた写実を追及しており、明確なリアリズム研究の成果が如実にうかがえる。
鈴木千久馬の初期の画風が、フォビズム(野獣派)の画家として知られているとはいえ、すぐにその運動から離れ、セザンヌを深く追求した特異なリアリスト、ドランの影響を強く受けているのは、その後の鈴木千久馬の画業の展開を見る上でも興味深い。フォビズムの画家たちの中でも、もっとも野獣的であったヴラマンクに師事した里見勝蔵や佐伯祐三とは異なる作風の展開をしたのもその資質の違いを示すものとして興味深い。
本作品は、正方形というあまり一般には使用されない、非常に構成の難しいキャンパスを用いておりその対角線にそって椅子に座った豊満な若い女性を構成し、ひざの上を流れる布を交差させるという大胆な構図を用いている。また背景の壁には鏡があり、女性の横顔を写し出している。残念ながら保存状態があまりよくなかったと見えて絵の具の変色や傷みが多少あるが、それでも迫力のある空間構成の魅力は失われていない。"
1894-1980
スズキチクマ
Chikuma SUZUKI
O-8
制作年:1926
サイズ:130.3×130.3cm
技 法:油彩
材 質:キャンバス
形 状: