三上誠
三上誠
- " 三上誠は肺結核のため、4度に及ぶ胸部手術を受け、11本の肋骨を切除し、その後も絶えず病魔に脅かされていた。彼の宿痾である肺結核は、彼の人生のみならず、作画にも大きな影響を与えている。
三上は百冊近くにもなる日記を残している。どのページにも1日3度の体温測定と血タンの回数、そして混じる血の色の観察から書き始められている。日増しに色濃くなっていく死の不安の中で、非科学的なものとしてそれまで相手にしなかった東洋医学に救いを求め灸の研究を始めた。
そして自身でもすえるようになった灸が三上の特異な芸術世界の開花に結びついていった。
本図は代表作の「灸点万華鏡」と並ぶ作品であるが、そこに描かれている裸形の奇異な人物像は、東洋医学でいう経絡経穴図から着想したものである。黒点は灸のツボであった。
たとえば灸が非合理で非科学的と思っていたが、そうではなく、合理性と科学性の存在することを知って三上は驚く。やがて生命の神秘を説く理論に深く魅せられていくとともに、その理論の絵画化に打ち込むようになる。
本図には「F市曼荼羅」で描いて見せたような三上の、理想を求めて情熱を燃やす生の香気と輝きはない。しかし、画面いっぱいにかげろうのように揺らめくさえざえとした美しさは、「F市曼荼羅」に見ることの出来ないものである。なぜならそれは絶望と寂寥と孤独の深みに行き尽くした、三上の苦悩から昇華してくるものであったからだ。
三上は日記の中で「それは自分の宿命であった」と書くように病弱であった。青春の時から、肺結核を誰よりも何よりも身近な存在として生きねばならなかった。
けれども、その苦しみの中から知的で詩情に溢れた特異な幻想の芸術を花咲かせることになった。それが「灸点万華鏡」であり、本図「灸点輪廻Ⅳ」の作品であった。"
1919-1972
ミカミマコト
Makoto MIKAMI
J-85
制作年:1966
サイズ:114.8×93.6cm
技 法:紙本着色
材 質:
形 状: