所蔵作品

三上誠

三上誠
  • " 三上誠は肺結核のため、4度に及ぶ胸部手術を受け、11本の肋骨を切除し、その後も絶えず病魔に脅かされていた。彼の宿痾である肺結核は、彼の人生のみならず、作画にも大きな影響を与えている。  活動の地であった京都を離れ、療養のため郷里福井に帰郷した三上は、生と死の狭間で苦悩しながら、その救いを東洋医学の鍼灸に求めた。治療方法として鍼灸に注目しながらも、三上はその経絡経穴図(けいらくけいけつず)に造形上の着想を得、ここに紹介する「灸点万華鏡」の連作を始め、多くの作品の創作に繋がっていく。  自らの変りゆく肉体を、無限に変幻してやまない「万華鏡」に投影することによって、傷ついた肉体と精神の苦悩をも昇華した。その濁りのない清澄な色彩に彩られ、生命の源である女性の子宮を中心に万華鏡が回る。それは肉体の再生、復活をも予感される。"

1919-1972

ミカミマコト

Makoto MIKAMI

J-82

灸点万華鏡1

キュウテンマンゲキョウ1


制作年:1966
サイズ:151.5×92.4cm
技 法:紙本着色
材 質:
形 状:


無名の作家であり、生地福井で知る人もいなかった三上誠という作家を世に出したのは中村正義の力が大きい。中村正義は1960年、弱冠36歳という記録的な若さで日展日本画の審査員に推挙されたが、その後反日展の立場をとる。三上とは星野真吾を通して知り合い、反体制同士の共鳴、手術で肋骨をとった者同士の他人とは思えない親近感があっただろう。肺結核のため郷里福井で療養している三上の画業と作品に打たれた中村正義は、そのまま埋もれさせてはいけないと三上が亡くなったときに星野真吾とともに駆けつけて、遺作の大半を買い上げて散逸しないようにコレクションとした。三上誠という作家を世に出さないといけない、自分が出さないといけないという信念をもって、三上の画集を出版し、神奈川県立近代美術館での遺作展実現のために力を注いだ。三上のその画集は福井県立美術館開設準備室にも届いた。三上誠といっても知る人もいなかったが、今まで見たことがない日本画がそこにあった。それをきっかけとして開催された開館最初の日本画の展覧会、「三上誠展 -福井の生んだ悲運の日本画家-」(1978年)は花鳥風月を期待していた福井県民にとって意外なものであった。「日本画がどこにもない。」「三上さんは日本画家なんですか?」「日本画って何ですか?」そんな質問が飛び交ったという。
 展覧会が終わり、中村正義遺族の元に作品を返却したが、どうしても福井に三上の最初から最後までの変遷が分かるコレクションをとどめおきたいという美術館側の意向を汲み取っていただき、現在の収集に至る。今、福井県立美術館にある三上誠の作品のコレクションは中村正義が選んだ選りすぐりの作品の中から収集したものが核になっている。