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J-461
制作年:17世紀
サイズ:151.1×347.9㎝
技 法:紙本金地着色
材 質:
形 状:六曲一隻屏風
"紫式部の『源氏物語』から5場面を選び出し、6曲1隻の金地の屏風に極彩色で描いた作品。各場面は向かって右上より時計順に「若紫」(第5帖)、「空蝉」(第3帖)、「野分」(第28帖)、「藤袴」(第30帖)、そして「薄雲」(第19帖)となっている。場面選択が全54帖の前半部分に集中していることから、あるいは後半部を描いたもう1隻とともに、当初は1双として制作された可能性が考えられる。 各場面は横にたなびく細長の金雲で分節され、その一部には胡粉の置上げによる美麗な文様も施されている。また金銀泥の下絵に三藐院(近衛信尹)流で場面を書した札銘を貼付している。気品ある顔立ちの人物、緻密な衣や室内の紋様表現、そして的確な建築描写などに絵師の筆技の確かさをうかがうことができる。全体的に絵具の退色等が見られ、蝶番に接する金雲にはのちの補修が認められるものの、人物等主要部分の補筆・補彩は見られず、総じて当初の姿を留めているものと思われる。 本図に落款など絵師の名を示すものは認められないが、狩野派正系の絵師の筆になることが画風から推測できる。なかでも人物の顔立ちや松樹の表現などが、狩野永徳の次男で宮廷絵師の孝信(1571~1618)の画風の影響が強いことは注目される。現在確認されている孝信作品は漢画系人物や風俗画がほとんどで、源氏絵は信尹の色紙を貼付した空蝉を描いた屏風(米国個人)がその可能性を指摘されるのみで、確実な作例は知られていない。そのため本図についても、現時点では孝信周辺の絵師による慶長から元和頃にかけての作とするにとどめる。なお上記の空蝉図は、本図の空蝉の場面とほぼ同じ図様で、くわえて信尹賛の「紫式部像」(石山寺)や「渡唐天神像」(所在不明)も存在することから、両者の密接な関係がうかがえ、本図の制作背景を考える上でも示唆的である。"