コレクション展
2026.5/13(水)~2026.6/7(日)
昭和100年・生誕160年記念 島田墨仙 ー福井生まれの歴史人物画の巨匠ー
島田墨仙《廓然無聖》昭和6(1931)年 第12回帝展出品作 中国南北朝時代、インドから禅を伝えた達磨と梁の武帝との故事に取材したもの
開催概要
| 会期 |
令和8年5月13日(水)~6月7日(日) 休館日:月曜日 |
|---|---|
| 開催時間 | 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
| 観覧料 |
一般 100円(20名以上の団体は2割引。他の割引との併用不可) ※スマホ決済アプリPayPay(ペイペイ)対応 ※高校生以下、シニア70歳以上、障がい者手帳等をご持参の方とお付き添いの方1名は無料(各種証明書をご提示ください) ※5月17日(日)の「家庭の日」は無料 |
| 会場 | 福井県立美術館 |
| 主催 | 福井県立美術館 |
| 後援 |
福井新聞社、URALA |
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| お問い合わせ先 |
福井県立美術館 0776-25-0452 |
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令和8年は近代福井の美術を語る上で欠かせない日本画家・島田墨仙(しまだ・ぼくせん 慶応3~昭和18)の生誕160年であるとともに、昭和100年の節目の年にあたります。それを記念し、昭和期に輝きを放った墨仙と、画家であった島田家の人々を、作品や時代背景とともに紹介します。
墨仙は福井藩士・島田雪谷(しまだ・せっこく 文久9~明治17)の次男として福井城下に生まれました。父雪谷は福井藩の下級藩士でしたが、書画の才能に恵まれ、日々の役向きのほかに藩主松平春嶽公に書画の指南役として重用され、兄雪湖(せっこ 慶応元~明治45)も画家でした。
墨仙は、幼少より父に円山四条派の日本画を学び、父を亡くしてからは福井中学校や女学校で教鞭をとりながら独学します。明治29年に上京して橋本雅邦の門下生となり、その後は文展、帝展等、中央画壇で活躍し、75歳で没するまで福井藩士の生まれであることの誇りと、橋本雅邦の心持ちの教えを胸に、一途に画業に邁進しました。
数多く描かれた歴史人物画では、その人の人格、性格、心情を描き出すことに心が砕かれ、特に昭和期に集大成ともいえる良作が生み出され、昭和18年に日本画部門初の帝国芸術院賞を受賞しました。作品の特徴でもある枯淡で抑えた色使いは、華やかな色彩が主流の日本画壇では決して目立つものではなく、自身が個展を好まず、死後も弟子たちに遺作展開催を禁じたため、直接墨仙を知る人が失われた平成期には一部の美術愛好家をのぞいて忘れられたかのようにみえました。しかし、実際には、墨仙の絵を愛し、高く評価する人たちによって、人から人へ、何十年にも渡って絵が大切に受け継がれていました。
気品に満ち、見る者に心地よい緊張感を与える墨仙の作品を再びより多くの人たちに知っていただくため、本展ではそれらを一堂に集め、同時に父雪谷から兄雪湖、墨仙へと続く島田家の画系の全容とともに紹介いたします。
解説!島田家の画家たち
明治初期、福井画壇を支えた島田雪谷(しまだ・せっこく 文久9~明治17)
墨仙の父雪谷は、武芸で福井藩に仕える藩士でした。明治維新で藩の家禄を離れてからは、藩主・松平春嶽公にも指南したという円山四条派の日本画の画力で身を立てました。また、その教えを受けたなかには隣家の幕末の志士・橋本左内や、諸国遊歴中に福井に立ち寄った、のちの帝室技芸員の野口小蘋、福井の西洋画黎明期の画家である小林寿、大平広正らがいました。絵の指南は本来、藩の御用絵師が担うべき役割ですが、幕末福井の絵師たちは活動の実態が把握できないほど弱体化していたため、福井において絵心のある者は元藩士から芸者までことごとく雪谷の門をくぐり、その数は千人を超えたといわれます。
博物学の進展を担った島田雪湖(しまだ・せっこ 慶応元~明治45)
墨仙の兄雪湖はアメリカの新聞も認める「大変な美男子」で、幅広い人脈が強みでした。父から絵画の基礎を学び、10代前半から新聞挿絵の仕事をするほど早熟な才を見せ、各地遊歴ののち28歳頃東京に上京します。久保田米僊の紹介で米国人ヘンリー・P・ブイ、さらにブイによってスタンフォード大学初代総長で動物学者のデイヴィッド・スター・ジョーダンの知遇を得、以後、この影響力のある親日家の米国人2人の活動を挿絵画家として支えていくことになります。雪湖は日本の魚類の概要を明らかにすることになるジョーダンの元で、その博物学的業績の一翼を担います。日本、ハワイ、フィリピン、アメリカを巡る海洋調査に参加し細密な動物図版を描き、それらはスミソニアン協会が収集する博物資料となりました。また日露戦争以降、排日感情が高まりつつあったアメリカ西海岸で、ブイが日米親善の目的で開催した日本画や日本美術についての講演会や展覧会、書籍の発行において雪湖は挿図を担当し、席上での実演者として助力し、日米親善に寄与しました。